地雷を踏んだらサヨウナラ
若きカメラマン・泰造はアンコールワットに魅せられ、命を顧みず戦地に挑んでいく。実在した戦場カメラマン・一ノ瀬泰造の半生を描いた作品。
最近、死を扱った映画ばかり見てる。
タイトルの言葉は、一ノ瀬泰造がアンコールワットへ出発する際、親友に残した言葉。
泰造は冗談風に言うが、その現実を体感している。
淡々と描かれる戦場カメラマンとしての生きざま。
生き写しと言われた浅野忠信は、役にも土地にもハマっていたように思う。
一心不乱に戦場でシャッターを切る泰造。その臨場感。
弾が当たらないのが奇跡な程の戦場で人の死を撮り、親しい人を目の前で亡くし、悲しみと葛藤しながらもその遺体を写真に収める。
泰造を突き動かすものとは。その生き方は簡単に理解できるものではない。
自由奔放で情熱、愛嬌があり、すぐ土地に馴染み、カンボジアや写真を撮ることが好きな泰造。
カンボジアの親友を始め、たくさんの人たちに好かれ、慕われている。
子供たちの写真を撮る泰造の姿が良かった。
カンボジアで生き生きしている泰造が日本にいるのはどこか違和感があるが、日本や日本人とのシーンは見ていてホッとする。
どちらも現実なのに、なぜか戦場のシーンは現実味がない感じ。
地雷の犠牲になる子供たち。
戦争の惨たらしさを目の当たりにする。
カンボジアへ向かう前の親しい人との別れ。印象的な泰造の表情。
アンコールワットへ向かう途中、半政府軍に捕まり処刑されそうになるが、隙をついて逃げる展開が凄かった。
アンコールワットを目指し一心不乱に走る泰造。
辿り着くもカメラがなく、追っ手が迫る中、泰造は叫びながらアンコールワットへ走り出す。
その後の泰造の安否は言うまでもない。壮絶で静かな、悲しいラストカット。
撮らせてあげたい気持ちになった。
実際、一ノ瀬泰造がどこまで行けたかはわからない。どちらにしろ志半ばではあったと思う。
死を覚悟していたという泰造はどういう思いだったのか。
そして、戦争に翻弄された人々の現実。
エンドロールの映像も印象的だった。
命も顧みぬ程に一つのことに突っ走った泰造の生きざまが本当に凄かった。圧倒された。
一ノ瀬泰造のことを予習してから見るのもいいかもしれない。
夏の高校野球
毎度のことながら高校野球ってこういうことがあるから恐い。鳥肌立った。
去年も2アウトの話してる。
一点を追う広陵の9回表、2アウトからの同点、逆転劇。
その裏、二点を追う駒大苫小牧の2アウトからの二塁打、広陵のワイルドピッチによる一点差に迫る展開。
惜しくも、実況の言葉を借りて、去年の準優勝校・駒大苫小牧は初戦で姿を消した。
去年、秋の大会でのコールド負けからの甲子園出場を果たした駒大苫小牧・新チーム。懐かしの香田監督…。
大阪桐蔭も関西も八重山も早実も出場していない今年。
また、この季節。一年の早いこと。
最後に全く関係ない話。
NHKアナウンサー登坂さんが急にキーワードに上っている不思議。今更、白髪が話題に…?
結構、みんな登坂さん知ってるんだね。
キャンビー兄弟は登坂さんを応援、もとい気にかけています。
中田は朝青龍を応援しています。
母の眠り
ニューヨークでライターとして働くエレンは、ガンを患う母の看病のため帰郷を余儀なくされる。両親との関係、仕事のこと、看病で溜まっていくストレス。しかし母と過ごす内に、平凡だと否定していた母の生き方を見つめ直し、母の才能、強さを知っていく。そんな間にも母の病状は悪化していく。
家族の関係性はよくある感じの設定だったが、親子の関係、親の在り方など感じるものが多かった。
いつも平凡なことで楽しそうに、明るく振る舞う母が死期を前に語る本音。
家族を守るためたくさんの我慢や妥協をしていたこと、愛があったから乗り越えられたこと。
どんなわだかまりがあろうと、自分の歴史の一部である親を否定し続けて生きていくことの不幸せさ。
自分の気持ち次第で簡単に幸せになれる。
あなたはたくさんのものを持ってる。
持っていないものや持っていないと思い込んでいるものを追い求めずに、ただあなたの持ってるものを愛せばいい。
母親役のメリル・ストリープの訴えかけるような話し方、弱っていく姿、苦しむ姿がリアルで。
普通に行けば、いつか経験する親の死。
弱っていく姿、苦しむ姿、子供に気を遣ったり弱音を吐く姿を目の当たりにしたとき。そういう看病の課程が辛いだろうと。
苦しさから死を望む母を、楽にしてあげようとするが思い止まるエレンの姿。
家族さえも、家族だからある隔たり、知らない一面。当たり前のことなのにどこか寂しくもあったり。
ふと感じる、親の人生の先輩の部分。だてに倍以上生きてない。経験がものを言う。自分の未熟さも知る。
理想の家族ってどんなだろうと。
モリー先生との火曜日
多忙な生活を送るスポーツライターのミッチはテレビで大学時代の恩師・モリー先生が難病に冒され余命わずかであることを知り、躊躇しながらも16年ぶりの再会を果たす。それから、毎週火曜の二人だけの「人生の講義」が始まる。モリー先生が語る数々の教訓から、ミッチは自分の生き方を見つめ直していく。
展開に映画ならではのとんとん拍子加減は若干あったが、ミッチとモリー先生の交流は温かかった。
ミッチは先生に多くのことを学び救われたと思う。
その先に別れがあろうとも、教わった数々の教訓を糧にこれから混沌とした世の中、人生を「いかに死ぬか=いかに生きるか」を頭に置き、生きていくような気がした。
映画を通し、ミッチと共にたくさんの教訓を教わった気になる。
人生の時間がないモリー先生ならではの教訓。
いつ死んでもいいように生きること、幸せに死ぬこと。
実際、教訓通りに生きていくことは簡単ではないが、肝に銘じたいと思った。
実話らしく、こういう出会いを羨ましく思う。